対話の力と世界の平和

2月27日(日)をもって、去年8月末から半年間受講してきた、
京都精華大学のグラフィックファシリテーション講座が修了し
た。

火曜日チームのメンバーとして、10数名のメンバーと毎週オン
ラインで180分講義の受講。それに加え、インターバル活動と
いう名のクラス外でのオンライン対話。

メンバーの一人が計算してくれたところによると、約140時間
時間を共にし、対話を繰り返してきたらしい。

何度か、夜中の3時まで「朝まで生対話」も経験(笑)。

正直、グラフィックの練習を真面目に重ねてこなかったので、グ
ラフィックの腕前はイマイチ伸びなかったが、ファシリテーショ
ンのマインドセット、特に心理的安全性の高い場づくりについて
は、非常に深い気づきと学びがあった。

ファシリテートされる立場、あるいはファシリテーションする立
場、両方を経験したことで、対話の場における自分の在り方を直
視することになり、それはそれは、非常に不快で苦しかった。

自分のできなさと、なさけなさとのご対面。

自分のまなざしが、対話そのものではなく、ひたすら自分自身に
しか向けられない未熟さ・器の小ささ。

小さな声を拾おうと手を伸ばすけど、どんなに拾おうとしても、
取りこぼしてしまう悲しさ。

小さい声を拾おうとしすぎるあまり、発散ばかりで、合意形成
にたどり着けずに拡散してしまう対話。

対話して、何になるのか?
結局、結論でないじゃないか。
イライラ・モヤモヤする日も、少なからずあった。

実際の組織の中で、これほどまでに時間をかけて丁寧に関係性を
作り、対話を重ねることは、正直、非現実的。

しかし、実際の仕事では無理だからこそ、この関係作り・場づくり
だけに全力集中したこの時間と空間は、本当に貴重な学びとなった。

対話の中で答え(結果)は出なくても、確実に共に過ごした時間と
関係性は積み重なり、心理的安全性が育まれていく過程をじっくり
体験・観察することができた。

心理的安全性が育まれると、次々発生する問題にも、お互いへの敬
意を常に忘れず、相手の言葉に価値を置いて、じっくり耳を傾ける
こと、そして対話をあきらめないマインドが育つ。

このあきらめない心ー胆力は、今すぐには解決しない問題に向き合い、
今より一歩でも前進させようと踏ん張らせてくれる。いつかかならず、
糸口が見つかるはずだと、目的と希望を握りつづける力となり、微力
だが決して無力ではないと、最終的には自分を支える力になるのだ。

今の世界の戦争は、悲しいけれど、絶対的な・即効性のある解決策は
見つからない。世の中の大半の問題は、そういう複雑さとむずかしさ
からできている。

技術的というよりは、関係性の問題。
鍵穴のように、たった一つの正解がない問題。

関係性の問題は、関係性の中でしか解決しない。
その関係性を紡ぐのが、対話だと思う。

だから、きっと対話のなかにこそ、解決の道があるのだと信じている。

私の小さな臨床の場で、クライアントとかわす対話も、企業に入って
社員さんや組織とかわす対話も、小さいけれど、私ができる小さな平和
づくりへの一歩。

世界の平和を作ることはできないけれど、私の間近な小さな世界を平和にすることに尽力することで、私なりに世界の平和を支えたいと思っている。

どうか、戦争が早く収束しますように。

ウクライナの人々が、心穏やかに眠れる夜がきますように。

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